ギリシャトルコ編

デルフォイへ

 国際空港ではあまり換金率が良く無いと思い、当座の分だけ両替えをする。日本人が経営している旅行代理店がガイドブックに出ていたので、その人と連絡を取ろうとしたが電話が通じない。エーゲ海の航路についてやアテネ音楽祭など、日本ではまったく情報が無かったので相談をしたかった。仕方ないのでとにかく最初の目的地「デルフォイヘ行くバスターミナル」まで行こうと、空港からタクシーに乗る。
 アテネに戻るのは4日後の予定(ホテルが予約してあります)なので、それまでに旅行代理店と連絡がとれたらいいだろうと簡単に思ってた。タクシーの運転手に「デルフォイヘ行くバスターミナル」までと頼むと、旅行代理店を聞かれる。そんなの個人旅行なので関係ないし、あったとしてもまだ連絡がとれていない。とにかく「デルフォイヘ行くバスターミナル」までと言うと、旅行代理店が分からないと行けないと言われます。ましてバスの出発の時間まで聞かれます。そんなのバスターミナルへ行ってみないと分かりません。
 少なくとも二人とも英語で会話していますが、僕に語学力がないのでどうしようもない。しかも、運転手には、英語もイタリア語もドイツ語も分からずこんな所まで来るのは気が変だとまで言われる始末です。ものすごく減っ込みました。それでもアテネの市内観光はしてくれている。ちょっとしたアテネ市内車中観光だ。アクロポリスはもとよりディオニッソス劇場やアドリアヌス門、ゼウス神殿など解説付きです。それよりこれからどうなるのだろうと思っていると、グランドオリンピックホテルへ連れて行かれる。このホテルには日本語の話せるコンシェルジュがいるらしい。運転手にとってどうしょうもなくて最後の手段だったんだろう。
 コンシェルジュによると、観光客がデルフォイへ行く時は日帰りツアーに参加するのが一般的で、路線バスに乗って行く事はまず無いとの事だ。これで話は分かった。ついでに旅行代理店に連絡を取ってくれる。旅行代理店のH氏と連絡がとれ、簡単なスケジュールを話し、アテネに戻る迄に音楽祭のチケットだけ頼む。もちろんアテネに戻ったら会う約束をした。
 こんどは気持ちよく「デルフォイヘ行くバスターミナル」まで行ってくれた。運転手は落ち着いて接してみるとけっこう良い人に見える。いつも左手で数珠のような物を握り、親指の先で玉の数を数えるように弾いている。宗教的なものでしょう、たぶん。

 バスターミナルは、さほど大きく無く、円形の建物が隣接していて、そこが切符売り場のようだ。中に入るとまん中が丸く待ち合い室になっていて、周りに各方面行きのチケット売り場がある。トイレにはお掃除おばさんが居て、お金を徴集しようとしているが、あまりきれいじゃ無いせいか誰もお金を渡そうとしない。待合室で竿にお札のようなものを吊るして売っている人が居る。宝くじだそうだが発表が分からないのでなんとなく買えない。けっこう人を見ているだけで楽しいものだ。いままで少し手こずったがタクシーに乗ってた事は忘れて、気を取り直す。
 これからが本当の旅が始まるぞと、待ち合い室のまん中でぐるっと周りを見渡すが、DELPHI(デルフォイ)という文字が見つからない。というか、アルファベットじゃない。当たり前だが、ギリシャ文字。仕方ないので目の前の窓口で、デルフォイまでと言ってはみたが通じない。おそらく発音の問題だ。ガイドブック(日本語の)と地図を取り出しデルフォイを指差してチケット購入にやっと成功。やってみれば簡単な事だった。なまじ喋れない言葉を喋るから混乱するのだと思い知る。
 両替えをしなくてはいけないが、両替所が見つからない。ちょっと考えれば分かる事だったが、ローカルのバス停には通貨の両替所があるはずが無い。ここには円やドルを持っている人はいないだろう。いま自分がしている旅行がサバイバルゲームのように思えてきた。

 13時頃バスは出発。町中を抜け山道に入る。背の高い樹木は少なく、日本で言う森林限界を走っているような感だ。途中、1度ドライブインに寄り、休憩があった。壁に絨毯が掛けられて売られている。
 小さな街をいくつか抜けて、大きなバス停に着いた。乗ってる乗客がみんな降りて行く。着いたのかなと思い、慌てて降りようとしたが、周りにスキー場の看板が見えた。ちょっと変だと思い、運転手に地図とチケットを見せると、まだ先のようだ。それからパラパラと人の乗り降りがあったが、僕の行き先を運転手が知っているのでちょっと安心だ。しばらく走って左手に海が見えてきた頃、運転手に降りるように指示される。16時30分頃。バスを降りたのは僕一人だった。


デルフォイ(Delphi)

 今日の宿は当然決まっていない。ガイドブックには、ギリシャやトルコの観光地では、バスや船が着くと宿の客引きが群がってきて宿はより取りみどり、と書いてあったのを間に受けていた。だれも居ない。バスが走り去った後、人っ子一人見当たらない。すんごく寂しいです。取りあえず、そのバス停で、明日のパトラス行きのバスの時間を確認する。13時15分発。明日は、パトラス、ピルゴス経由でオリンピアまで行きたい。
 次の心配は宿だ。バス停から少し戻った山の斜面に、民家が並んでる。おそらく宿はその辺にあるのだろうと目ぼしを付ける。なるべく山の斜面の高い位置ヘ行き宿を見つけた。直接交渉だ。ドキドキしながら入って行くと、人の良さそうなおばさんが、いきなり色々な部屋を見せてくれる。泊めてくれと言った覚えは無いが、今時分でかいリュックを背負ってあらわれれば、どう見ても今夜の宿を求めに来た旅行者だろう。何も話さないまま宿は決まった。見晴しの良い道路側の部屋にしてもらったが、海は見えない。こぢんまりとして掃除の行き届いたきれいな部屋だ。宿泊客は僕一人のようだ。
 さっそく荷物を降ろし、宿の人に街や遺跡の場所を聞いて出かけてみる。さすが観光地だ。町中で自動両替機を見つけた。日本円も替えられる。でもこの時間では閉まっていた。時間が遅いので遺跡へ行くのはは明日にして、遺跡を通り過ぎ下にあるアテナ神殿へ向かう。歩いて10分程山を下りる。

アテナ神殿 アテナ神殿には、Tholosと言う円形神殿の遺跡がある。創建は紀元前320年頃。壊れた石郡の中に階段状に丸い台座が設けられ、修復されたドリス式の3本の柱が力強く天にそびえている。ものすごく厳格な宗教儀式祭場的なものを感じる。始めて触って見たギリシャの遺跡だ。何かものすごく均整のとれた美しい形だ。ここにも誰もいないので、ぼんやり時間を過ごす。ここはデルフォイの神託所の一部なのだろうか、独立した場所のようにも見える。こぢんまりとして美しい石の配列だ。石に座って柱を見ていると「祇園精舎の鐘の声、……」とか、思わず口に出てきてしまう。現実的なものは、ときおり上の道路から聞こえる車の走る音だけだ。ここには土産物やさえない。遺跡は廃墟なんだとつくづく思い知る。近くに体育館跡があるはずなのだが見つからない。
 もう6時半頃だが、日の落ちる気配が無い。街へ戻る途中に1軒、ビール専門のカフェがあったので寄ってみる。とにかく咽が乾いた。見た事の無いビールを注文する。藤棚の様な場所の下にテーブルと椅子が設けられていて、山の斜面を上がってくる涼しい風の中、海を見下ろしながらビールを飲めるが、やたら虫が多く、しかもぬるいビール。気持ちはだんだん落ち込んで行ってしまう。あと、3週間大丈夫なんだろうか。BGMに流れているモーツアルトのクラリネット四重奏曲が唯一のなごみだ。
パルナソス山 店を出て、遺跡の下までくると泉がある。この泉の水を飲むと、もう一度ギリシャに来れると聞いたが、水は飲まなかった。1日目でこの旅行が嫌になったのか、今の先の事を考えて生水を控えたのか、……。それより、遺跡を見上げて驚いた。感動したと言う感覚より、僕にとっては恐怖感に近いような感じだ。迫るような山、裾に点在する遺跡。うまく言い表せないが、ここが古代ギリシャにとって最も重要な聖域である事を改めて思った。遺跡の置かれている背景そのものが厳格だ。

 街に戻って取りあえず食事にする。街道の道路脇にピザ屋見つけたので入ってみる。道路の海側は崖で、そこにテラスがはり出している。ちょっとした展望レストランという感じだ。一番海側に陣取りこの景色を独り占めだ。お客は僕一人だけだったが。ピッツァは美味しかったが、すすめられたワインは値段の割には、美味しくはなかった。高いワインは口に合わないのだろうか。ギリシャはヨーロッパでワイン生産高一番と、店の人が言っていた。たぶん、そう言ったんだと思う。
 デザートにケーキをすすめられて、注文したが、これが凄い。白いモンブランの様なケーキだが、ひとくち噛むと歯の芯までツーンと痛くなるような甘さ、日本ではお目にかかった事の無い甘さなのだ。白いソバ状の塊は、溶かした砂糖を固めたものだ。おかげであまり旨く無いワイン1本はすぐカラになった。

 とにかく疲れていたのだろう、宿に戻りすぐ寝てしまう。0時頃目がさめ、汚れた衣類を簡単に洗濯する。衣類の替えは最小限しか持って来てないので、干せる時間がある時は、必ず洗濯をするよう決めていた。洗濯も済んでシャワーを浴びたが、お湯が水になりフコフコという音とともに水がとまってしまう。僕は石鹸の泡の残ったままだ。宿の人に苦情を言うには遅すぎる時間だ。おそらく水をためて使っているのだろう。洗濯に水を使い過ぎたのかもしれない。石鹸は天然の良いものを用意していって良かったと思った。タオルで石鹸をよく拭いて、そのまま寝る。ちょっと気持ち悪いが他の方法はない。2時を過ぎてしまった。
 7時頃目がさめるが、起きられない。鐘の音が聞こえる。近くに教会でもあるのだろうか。しばらくドロッとしてたが起きる。水は普通に出た。朝一番でタンクに溜めたのだろうか。ギリシャ正教会9時朝食。断水の事を言おうと思ったが、面倒臭かったし、うまく話せないし、やめる。フレッシュだろうか、オレンジジュースがとても美味しい。紅茶はいただけない。朝食後、遺跡を目指しすぐに宿を出るが、まず、気になっていたので教会を探してみる。街の広場で、小さいがとてもかわいらしい教会を見つける。新しい建物だろう、クリーム色の石材にオレンジ色のレンガがアクセントを付けている。円蓋式バシリカ様式と言うのだろうか、良く知っている教会の形とはちょっと違う。まるで、お伽の国の教会だ。

アテネ人の宝庫 デルフォイの遺跡へ向かう。デルフォイの歴史はミケーネ時代に始まったとされている。当時はここが世界の中心と考えられ、神託が行われるようになる。ギリシャ神話にも、神託を受けた事がたびたび出てくる。紀元前6世紀頃、デルフォイの神託は全盛を極める。その後、紀元前3世紀頃、アナトリア人の支配下に入り、紀元前191年にローマ人によって征服される。ローマの時代キリスト教の普及により、デルフォイは宗教的な意味を失い皇帝テオドシウスにより神託は廃止される。
 デルフォイの遺跡に着いてまず驚いたのは人の多さだ。昨日とは全然違う。昨日の静けさは無い。旗に先導され、バッチを付けた日帰りツアーの人達が圧倒的だ。誰もいなくて寂しいのも嫌だが、こう多すぎるのも考えものかも知れない。料金を払って参道を登る。
 参道に両側に宝庫や記念碑が連なる。小さいが再建されているためアテネ人の宝庫がまず目に着く。1903〜1906年にフランスの考古学者の手で建てられたらしい。元々は紀元前6世紀頃の建築。正面のドリス式の柱が強く目を引く。側面は文字でびっしり埋まっている。献辞で、アテネがマラトンの戦いでペルシャの軍勢に勝利したのでアポロンに献上した宝庫だ、と書かれているとの事だ。アポロン神殿
 少し昇るとアポロン神殿が見えてくる。でかい。6本の柱が残るだけだが威圧感さえ感じる。山を昇るという行為が、そう感じさせるのだろうか。紀元前370年頃の遺構。紀元前6世紀頃にはこの場所にもともと神殿があったらしい。ギリシャ神話に出てくる神託は、ここで行われたのだろうか。想像するしか方法は無いがなにか感銘深いものがある。
 さらに昇って行くと劇場跡がある。こういう所はどうしてもステージに立ってみたくなる。山の斜面を利用して観客席が作られている。ステージに立って観客席を見ると山を見上げるようだ。観客席に向かって声をあげて見る。木霊が聞こえたような気がする。また、さらに昇るとスタジアム跡がある。さすがにこの辺まではよほどの物好きしか昇ってこないようだ。劇場跡誰もいない。荷物を持ったままなので、ものすごく疲れた。荷物を置いて少し休む。日ざしが強いが日陰は無い。トラックの両端にスタートとゴールらしき石板がある。当然、スタートからゴールまで走ってみた。200m位だろうか。よけい疲れた。
 僕の感覚だと、神殿の上に劇場や競技場があるのが不思議だ。日本の聖域だと神聖なものほど高い場所または奥にあるような気がする。劇場や競技場で行われたのは祭事だったと解釈してみても、神殿より上部にあるのは理解できない。意識が違うのだろうか。

陳列品 遺跡を離れ博物館へ行く。別料金を払えばカメラやビデオを持ち込めるのが意外だった。しかしこの博物館クーラーが効いていない。故障だろうか、暑い。陳列品をざっと見る。
 大地のヘソと言われる砲弾形の大きな石がある。デルフォイをギリシャで最も神聖な場所たらしめている石だ。アポロン神殿から出土したらしい。この石の置かれた場所が世界の中心であると言う。表面は網目状の模様が彫られている。歴史資料としての価値は高いのだろうが、あまりぱっとしない。
シフノス宝庫のフリーズ 石彫では、シフノス(Siphnians)の宝庫のフリーズがすばらしい。北側の壁につけられ、紀元前525年頃のものという。巨人とオリンポスの神々の戦いを現わしているそうだが様式的ながら躍動的だ。色彩も多少残り、保存状態も悪く無い。おなじアルカイック期もので2体の青年像がある。素朴な造りだが美しい。アルゴスより奉納された墓碑とのこと。その他の彫像はあまり精彩を感じない。かえってトルソーに面白いものが多い。巨大な柱頭があったが、あまり感心しない。
 ここにはちょっと期待していたものがある。青銅の御者の像である。御者の像かつて、三島由紀夫が絶賛したあれである。紀元前478年ピューティア祭で戦車レースに優勝した際、奉納されたものらしい。クラシック初期厳格様式の傑作である、はずだ。すばらしい保存状態の上、アルカイック期からクラシック期へ移行する、直立不動から、ちょっと重心をずらしたスタイル。端正な顔だち。遠くを見据える目の表情。肩から流れ出し腰で一度まとめられ裾ヘ向かって一気に流れて行く衣裳の襞。申し分ない美しさだが、なんとなく重い。僕が疲れているせいだろうか、期待し過ぎたせいだろうか、あまり心に響かない。青銅製では動物を表現したものがすばらしい。乗り物の青銅製の飾りなど、見飽きない。残念なのは、焼けているのか、腐っているのか、ほとんどの青銅製品の表面が痛ましいくらい荒れている。
鳥の床モザイク 外の庭に雨ざらしにされているが、すばらしいモザイク群がある。鋪道に敷かれたものか、宮殿の床か、全体はかなり大きい。色々なボーダー柄で区切られその中に小さなモチーフが収まっている。鳥達はどれもひょうきんでかわいい。いつ頃の時代のものだろか、説明が無い。この上をギリシャの人達が歩いたのだろうか。想像するとなんか嬉しい。

 博物館を出て、バス停脇の食堂で昼食をとる。トマトにピラフを詰めてオリーブオイルで煮たもの。スタッフドトマトと言うらしい。オリーブオイルが、つらい。野菜炒めの様なものが付け合わせで付いている。食事はちょっと苦労している。ほとんどの料理が、オリーブオイル漬けだ。どんなものでも食べられる自信はあったのだが、このスタッフドトマトなんか、オイルの中でご飯が泳いでいる。腹の調子も良く無い。トイレに行って唖然とした。きれい汚いよりも便座が無い。便座の無いあの縁に座るのは嫌だ、といっても中腰にでは用を足せない。みんなはどうしているのだろう。バスの時間も迫っているし、他にトイレの当ても無い。しかたないので、便器の縁に乗って、しゃがんで用を足す。あまり丈夫そうな便器じゃなさそうなので、折れはしないかと心配だ。こんな格好でトラブルは絶対に嫌だ。



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