motive(動機)

 いつの頃からか(多分かなり子供の頃と思うが)砂漠の彼方にある宮殿を夢みてきた。はてしなく続く砂漠。キャラバンに連れられた駱駝が、長い商隊を組み西へ向かって行く。日が傾きかけると椰子の繁るオアシスが見え、夕日の中に駱駝がシルエットになる。オアシスには、夕日で赤く染まった丸いドームを持つ宮殿が見えてくる。そんな夢の景色が実際に存在することを知ったのは、美術に興味を持ちはじめた頃だった。
 その宮殿の名は、イスタンブールの聖ソフィア大聖堂。
 いつかは自分の目で見たいものだと思っていた。アテネのアクロポリス、オリンピアのヘルメス像、これも観に行きたい。歴史遺産はその国、その場所へ参拝するのが正当な鑑賞法だと思う。移動の可能な彫刻や絵画だって、もともと置かれていた場所まで出向いて行って会った方が、本来の美しさを存分に味わえると思っている。

 初めての欧州旅行に、なぜギリシャ・トルコなのかよく人から聞かれる。理由はいくつかあるが、西洋美術史を古代から廻ってみたかった。それだと最初に、イラク、シリア、エジプトを念頭に置くべきだが、この際まったくの個人旅行をもしてみたかった。それにはちょっとリスクの大きい国々だ。美術史の区分でのメソポタミアとエジプトは、後日、団体旅行にゆずって、ギリシャからローマ、ビザンティンへの歴史の旅をしようと思うと、必然的にギリシャからトルコヘの旅行になった。
 年をとるとあまり無茶な旅行はできなくなる。でも、今ならできる。宿も決めず、ギリシャ語やトルコ語はもちろん、英語さえも話せないが、往復の航空券だけを持って、生まれて始めての海外への一人旅を試みた。
 予定としての旅行のルート。まずはアテネへ。その日のうちにバスでデルフォイへ向かう。デルフォイからバスでコリントス湾を横断し、パトラス、ピルゴス経由でオリンピアへ。あとは、ペロポネソス半島を縦断しながらアテネへ戻る。アテネを観光して、ピレウスからフェリーでエーゲ海の島を回る。クレタ島、ロドス島は必ず寄って、海路トルコへ。あとはイスタンブールまでトルコを巡りながら行こうと決めた。目的地は聖ソフィア大聖堂だ。宿はアテネに1泊と最終日にイスタンブールに1泊だけは日本で決めて予約した。あの時はこれで十分だろう思っていたが、今思うと、あまりにも無茶だった。

日本出国

6月22日
 蒲田よりJRに乗り換え。成田エキスプレスで空港第2ビルへ19時10分チェックイン。オリンピックエアのゲートへ。ここまでくると外国人が多い。安さに釣られて買ったチケットなので、日本人の一般旅行客はまず見ない。その外国人達もちょっと感じが違う。会話の中に英語は聞かれないのだ。どうせ英語は話せないが、かなり不安になる。
 飛行機は21時05分出発。隣の人は会社員で、出張とのこと。流暢な英語でスチュワーデスに話しかけている。英語が母国語でない国へ行くのだから、話す方も聞く方もどっこい好い勝負だろうとタカをくくってきたのだが、彼の流暢な英語が僕をよけいに不安にさせる。少なくとも飛行機の中は日本じゃない。ギリシャへの道は始まっている。途中バンコク乗り換え。搭乗口を間違えた。今からこんな事で大丈夫だろうか。
 翌朝、トルコ上空に差掛かっていた。肥沃なはずのアナトリアの大地が砂漠に見えた。それでもギリシャに近づいてくると、美しい緑の大地、青い海が見え、気を取り直す。飛行機の中で時々地名のアナウンスがある。旅行雑誌を読み漁って来たので、ヴァン湖、イズミール、ヒオス、アテネと、聞き覚えのあるアナウンスを聞くと少しだが落ち着く。
 入国手続きの用紙の様式が、今まで行ったことの有る国のと何となく違う。書き方が分からない。隣の人に聞きながらなんとか書いた。飛行機を降りると日ざしが強い。やっと来た。こんなことを思うのは僕だけだろうが、タラップを降りる行為がとても感動的だ。まぎれもなくギリシャの大地に足を降ろしている。映画の1シーンのようにさえ思えてくる。
 入国審査は極めて簡単だった。お国柄なのか、ハンコを捺されただけでパスポートさえろくに見ない。旅行目的さえ聞かれない。あれだけ苦労して書いた入国手続きの用紙だったが、いい加減な事を書いても何も聞かれないだろう。9時15分通関をでる。




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