ギリシャトルコ編

アテネへ

 昨日の朝は教会の鐘の音が聞こえたが、今日はしなかった。ぐっすり寝込んで、気が着かなかったのか。7時半頃起きる。バスの出発は8時半だ。慌てて朝食を取り、ホテルをチェックアウトする。バス停まで来て帽子の無いことに気ずくが、時間も押しているし、今日は1日乗物の中の予定だ。被害の少ない生贄と思い帽子は諦める。チケット売り場が見つからない。目の前のインフォメーションで聞くとチケットはバスの中で買うそうだ。ここは、バスステーションでは無くバスストップだと言われる。こんな区別も知らなかったのは情けない。
 15分ほど遅れてバスが来る。オリンピアに入った時はタクシーで最短の道を来たのだろう。帰りは見たことの無い景色が続く。小さな村落を抜ける。道端でおやじ達がバックギャモンに興じている。まわりは一面オリーブ畑だ。
 ピルゴスに入ると道は渋滞しており、バスにアクシデントが起きる。接触事故だろうか。なにやら揉めているが、すぐに決着は着いたようだ。9時20分バスステーションに着く。アテネ行きのバスは9時半出発だ。慌ててアテネまでのチケットを買いバスに乗る。乗客は少ない。旅行者は僕だけのようだ。来た時は通らなかった町を抜けている。大きな市場が有り、野菜や果物が所狭しと並んでいて、そこをバスが抜ける。道は渋滞している。ちょっと危ないような感じだ。ここでバスが止まり、大勢の人が乗り込んで来た。バスは満席になった。海辺のリゾート地のようで浮き輪やピーチボールを売る店や若者向きのブランドショップが有る。
 バスは郊外を走る。以前も不思議だったが、街道を外れ、畑の中の一軒家迄行く。そこで人が降りてまた街道へ戻る。ギリシャのバスは自宅まで送り届けてくれるのだろうか、もしくはバス停がそこに有るのだろうか。しかしこのバス、ものすごく飛ばす。ときおりベンツのバスを見かける。いかにも旅行会社のバスツアーという感じのバスだが、そのバスを2、3回クラクションをならし一気に追いこしてゆく。バスはパトラスには寄らず、高速道路に入る。
 高速道路に入ってなんとなく見なれた景色が続く。東名高速の静岡付近を走っているような感じだ。田舎を走っている時はギリシャの景色だったが、高速道路が整備され、文明の恩恵に預かるにつれ、景色は画一化されてしまうのだろうか。
 13時20分。アナウンスが有りコリントスの運河を通過する。みんな一斉に窓の外を見る。思っていたより狭い巾だが深い。崖の下に見える海の水の色がきれいだ。右側に工業地帯が広がりはじめる。時おり砂浜も見える。14時20分アテネのバスステーションに到着。デルフォイへ出発した時のバスステーションから比べると、ものすごく大きい所だ。到着するのはいいが、ここから出発すると思うと、何処へも行けないかも知れない。テレホンカードを買って、H氏に連絡を取ろうとするが、電話が通じない。


アテネ(Athene)

 前述したが、今日のホテルは日本で予約済みだ。海外旅行をする時、許せる限りその国の伝統的な歴史の有るホテルに、一度は泊まりたいと思っている。もちろん予算の都合も有るが、その国を手っ取り早く知ることができるような気がする。京都に行くならホテルより旅館、その程度の事だ。ギリシャではグランド・ブルターニュを選んだ。ホテルの場所が分からないので、タクシーにのる。タクシーはホテルの脇で僕を降ろした。
 リュックを抱えてホテルに入り、フロントで予約表を見せる。何か、あまり歓迎されていないような気がする。やはり、スタイルがまずかったのか。一応、長いズボンに襟の着いたシャツは着てたが、それだけでは不十分なのだろうか。以前ハワイのホテルのディスコで、革靴を履いていないという理由で、入場を断られたことがある。まあ、予約も取ってるし、支払いも日本で済んでるので、出てゆけとは言わないだろう。なるべく、気にしないことにしよう。
 部屋は、窓が大きく天井も恐ろしく高くとにかく広い。調度も上品できれいだ。暫くして、H氏から電話をもらう。外国で、ホテルの部屋の電話が鳴るとものすごく緊張する。ここに泊まる話はしてあったが、まさか電話をもらうとは思わなかった。すぐにロビーで会うことにする。
 日本語で会話をするのは久しぶりだ。頼んでいた音楽祭のコンサートチケットをもらう。海路について色々な交通手段を知りたかったが、彼の専門では無いらしい。海路が決まらなくては、宿も決まらない。エーゲ海を渡ってトルコに入国する方針は替えたくない。また、ここまでの4日間の事を考え、宿が決まっていると精神的に楽なので、有る程度の宿は確保しておきたい。色々考えた末、明日アテネにもう1泊し、ミコノス2泊、1日おいてクレタ1泊、ロドスに1泊、ホテルを取ってもらうよう頼む。ミコノス、クレタ間の1泊はその時の状況で自分で宿を取ることにした。海路は当てにできないので自分で確保するしかなさそうだ。明日の宿は、僕はここでも良かったのだが、こんな高い所じゃ無くてもっと手ごろで良い所が有ると言われる。もっとも、彼も自分の息のかかったホテルじゃないと利益も出ないだろう。

 中途半端な時間になってしまったので、ぶらりと町へ出てみる。シンタグマ広場からアドリアヌス門へ向かう。131年アドリアヌス帝によって建てられた。この門には「ここはアドリアヌスの都、もはやテーセウスの都にあらず」と碑文されているそうだ。テーセウスはアテネの守護神だ。侵略者はいつの世でも横暴だ。正面にゼウス神殿が見えるが、入場できない。入り口が見つからないのだ。でも、さすがに回りから眺めるだけでも、その規模の大きさ十分理解できる。
 ディオニッソス劇場跡を横目で通り過ぎると、今夜の音楽祭のコンサート会場、イドロ・アティコス音楽堂が見える。毎年夏のシーズンにここやエピダヴロスで音楽祭が行われる。古代ギリシャ劇を見たいと思っていたが、今夜のプログラムはアリアコンサートだ。少し残念ではあるが、ローマの劇場で音楽を聞く機会なんてめったにないので楽しみにしている。チケットは当日売りもあるようだ。
 少し遅くなったが、アクロポリスまで行ってみる。しかしちょうど閉門したところだった。アクロポリスの見学が終わった人達が流れてきている。アクロポリスから古代アゴラへ抜ける道は巾も狭く人が溢れている。鋪道脇の空き地で旅行者と思われる若い二人が愛を確かめあっている。陽気のせいか気候のせいかまたはギリシャと言う風土のせいなのか、目の置き場も無く先へ進む。古代アゴラも閉門していた。
 コンサートの時間迄はまだある。H氏から聞いたレストランで食事を取る。ちょっと薄暗くて、食堂と言う感じもしたが食事は美味しかった。ムサカ(ナスとミートソースの重ね焼き)などは絶品に思えた。フェタ(山羊のチーズ)も美味しい。ほろ酔い加減でイドロ・アティコス音楽堂へ向かう。

イドロ・アティコス音楽堂 この音楽堂は161年の建築で、アッティカの大富豪イドロ(Herodes)が無き妻を偲びアテネに寄進したものらしい。今は修復され、6,000人収容できる野外音楽堂になっている。薄暗くなるとステージに証明が当る。最初に来賓の入場がある。日本では無い演出だ。オーケストラに続いてソリストが入場。アリアのガラコンサートは始まった。ソリストはアニータというソプラノだが初めて聞く名前だ。もっともオペラはあまり詳しくは無い。 そんなことはどうでも良かった。アクロポリス遺跡を背景にプログラムは続く。聞いたことのある曲も数曲あった。僕が今迄見た事の有るコンサートの中では、最高のステージセットかも知れない。夢のような時間が過ぎる。でも、やはり古代ギリシャ劇が見たかった。途中うろうろとすると、警備の人が飛んできて注意をされる。どうも、カメラがいけないらしい。でもすでに撮影済みだった。アクロポリスがライトアップされていた。
 コンサートも終わりぶらぶらしながらホテルへ戻る。夜中近いのに町はにぎやかだ。

 食事をしてすぐにH氏に紹介されたホテルに替わる。シンタグマ広場をはさんで反対側だ。荷物を預けるつもりだけだったが、部屋に入れてもらえる。わざわざホテルを替えた事への配慮だろうか。荷物を降ろして国立考古博物館へ向かう。

 ここには見たいものがたくさんある。キクラデス(Cycladic)の小品彫刻、ミキーネの黄金細工、アルカイック期の大理石像、クラシック期の青銅彫刻、そしてギリシャ陶器だ。
 だいぶ前の事になるが、東京でギリシャ美術の源流という展覧会を見た。そこでキクラデスの大理石像を始めて見た。両手で包めるくらいの大きさの大理石像だが、すごく興味が湧いた。harp-playerと呼ばれるその像はなんとも言えない美しい。プリミティブというには洗練され過ぎていて、人体の純粋形態を簡潔に表現している。期待を持ち過ぎるとへこんでしまう時がままあるが、そんなことは無かった。
燕と百合

 ティラより出土した燕と百合の壁画が美しい。紀元前16世紀のものに見えない。ディズニーの映画のような楽しさがある。作品保護の為かこの部屋は少し照明が落とされている。撮影禁止の案内が目にはいらずシャッターを押してしまう。フラッシュがビガッと焚かれ、係りの人が慌てて飛んできた。少しうかつだった。保護の事を考えれば、もう少し気を使うんだった。
 期待をしていたのはアガメムノンの黄金のマスク(現在の定説ではアガメムノンではないらしい)だが、実際に見てみると、歴史的価値は高いかも知れないが僕にはちょっと期待外れだった。そのかわり青銅の短剣やカップなどの金製品に面白いものがあった。牛に襲われている柄のカップなどは特に素晴らしい。
 アルカイック期の大理石像ではあまり気に入ったものはなかった。クーロス(青年像)が制作年代順に展示されているのが興味深い。さすが、高い質と所蔵数の多さが無いとできない展示だ。エレウシスのレリーフは思ったほどの感動は無かった。線が硬い。フェイディアスの作と記憶していたがその説明は無い(見落としたか、勘違いか)。クラシック期の墓碑に数点良いものがあった。
モザイク オリンピアの所で触れたが、クラシック期の大理石彫刻はあまり期待していない。そのかわり、青銅像の良いものは残っている。アンティキュティラ(Antikythera)の青年像、マラトンの少年そしてアルテミシオン(Artemision)のポセイドンなど、どれも素晴らしい青銅像だ。また、すべて海中からの出土品だ。一時は、略奪などの憂き目にあったのだろう。
 アンティキュティラの青年像の美しい体躯、指先へ集中する緊張感など、多少誇張されているが見事としか言い様がない。マラトンの少年は、少年らしいしなやかな体つき、自然な動きがよく表現されている。この少年像はプラクシテレスの工房で制作されたのでは無いかと言われているらしい。
赤絵式陶器 しかし、一番の注目はアルテミシオンのポセイドンだ。ゼウス像という説もあるらしいが、手に何を持っていたのか分からないので、揉めているらしい。
 この像は、当初、あまり期待をしていなかった。本の図版しか知らなかった悲しさだ。ベタッと平面的に感じていたのだが、全然違う。厳格様式の平面的な部分が多少残るが、静かな動きを感じる。手に何を持っているにせよ(三叉の槍であってほしいが)そのものは、めったなことでは手を離れることは無く、遠くの悪を威嚇のする為に存在したのだろう。少し近付いて正面左側より見上げるようにみると、この像の許にいれば何ごとが起きても自分自身は守られているような気さえする。初期クラシック期の傑作だと思う。
 楽しみにしていたのはギリシャ陶器だ。まず中期幾何様式のアンフォラが目を引く。150cm位はあろうかかなり大きい。黒絵式陶器墓標として作られたと言う。迷図のような紋様が延々と続き、一部に抽象化された人物が置かれる。たいへん美しい。黒絵式のものでユーモアに自由に線が走っているものがある。今まで知らなかったので新鮮だ。赤絵式、白地赤絵式等一つ一つ見て行ってもけっこう楽しい。個人的に白地赤絵式のものが好きなのだがあまり展示されていなかったのが残念だ。
 エジプト関係の収蔵品もかなりあったが、この先長いので、ざっと見て博物館を出る。


 歩きながらアクロポリスへ向かう。市内のどこからでも、アクロポリスの丘は見える。神聖なる岩、と呼ばれる由縁が良く理解できる。ギリシャの聖域の場所は、不思議な力を感じる自然の中に、存在している気がする。アニミズム的な考えが有ったのかも知れない。アクロポリスに近付くにつれ、巨大な岩は、巨大な城壁であることを知る。アクロポリスに入場するには、急な階段を登り切らなければならない。右側に、アテナイ・ニケ神殿が見える。かつてここには翼のないニケの像があった。勝利の神ニケがアテネより飛んで行ってしまわないようにと翼を切り落として奉納したそうだ。紀元前424年頃の完成、その後の歴史を見ると、当然、バチが当ったように思う。
 階段を登り切ると、右手奥に、パルテノン神殿がそびえている。よく計算された曲線の構造と言われるが、近くに寄るとたしかにものすごく巨大だ。太いドーリア式の柱が印象的だ。神殿内部は2部屋に別れ、乙女の部屋(Parthenos)にフェイディアスによる12mのアテナ神の像が安置されていたと言う。この像も、オリンピアのゼウス像同様、象牙と金によって作られていたらしい。
 神殿に、白い大理石がこれだけ使われいると、創建当初は、かなり荘厳で、威圧感のある建物であったであろう。現在、神殿はある程度復元されているので、当時の姿は想像しやすい。
 フェイディアスの指揮のもと15年の歳月をかけ紀元前438年に完成。正面はどうも奥の方らしい。
 現在、工事用の足場が架かっていて着々と復元がすすめられている(H氏によるともう何年も工事中らしい)。しかし、この巨大な石を人力で加工し、積み上げて行った創建当時に15年かかった作業が、復元に何年かかるのだろう。僕は今のままの姿で十分だとは思う。

 神殿の裏側に、アクロポリス博物館がある。かつて、アクロポリスのほぼ中央にアテナ古神殿があった。そこからの発掘品と、パルテノン神殿からのものが展示されている。
 アルカイック期のものが素晴らしい。なんと玉眼ものがある。モスコフォロス(Moschophoros)といわれる、子牛を背負った像だ。アルカイック期独特の硬さが感じない。無いと言うより、様式的だが全体に柔らかさみたいなものを感じる。様式的な硬さを、子牛がうまくバランスを崩しているのだろうか。素晴らしい作品だ。目は、当時たいへん貴重な、ガラスで出来ている。
 コレー(Kore 若い女性像)が全体的に素晴らしい。背中に、赤い彩色跡が残ったのもあり、保存も良い。流れるような、洋服の襞が美しい。アルカイック期の作品は、画一化された様式のものがほとんどだと思っていたが、かなりのバリエーションがあるのにおどろく。
 アテナ古神殿の破風彫刻の一部がある。かなり失われていて残念だが堂々とした美しさを感じる。もっとも現在の状態で、すべて把握することは不可能なので、想像の域を出ないのが残念だ。
 パルテノン神殿関係のものは、エルギンマーブルとして、イギリスに略奪されたことは知っていた。わずかだが、神々を描いたフリーズなどが残っている。合せて、大英博物館にある、パルテノン神殿破風彫刻の模作が、展示されていた。模作の展示を見て、なにか無性に悲しくなってくる。私見では有るが、イギリスはエルギンマーブルを、すべてギリシャに返すべきだ。長い歴史の中、色々な国で、色々な形で、文化財は流失して行った。正規に購入されたものもあれば、騙したように購入したものもあっただろう。それは、多少はしかたないとしても、エルギンマーブルは、戦争のドサクサで略奪して行ったものだ。しかも世界的に最高クラスの文化遺産が、近代に略奪されたのだ。おそらくこの論議は、ギリシャとイギリス間で、色々交渉されていると思う。僕は、所有権も、展示もギリシャ国内であることが一番自然だと思う。いや、ギリシャの所有権で、アクロポリス意外の土地で、展示されてはいけない思う。
 フリーズ類(メトープも含む)は破損が激しい。止むえないことだろうが残念だ。部分的に残る断片で全体を把握するのは難しいが、各パーツだけでも、完成像を想像しながら見るのは楽しい。アテナイ・ニケ神殿のフリーズは柔らかくひねられた体にまとわり着く衣裳が美しい。
 その他、エレクティオンの柱に使われた女性像や、悲嘆するアテナ神などのレリーフ類が美しい。全体的にここの博物館は、アルカイック期のものに素晴らしい作品が多い。
 博物館を出て、アクロポリスを歩く。もとはかなりの数の建物があったと聞くが、その面影はまったく無い。広大に広がる岩場に遺跡の残骸が残り、土台の岩と建築物の区別さえ着かない。しかし、この巨大な岩場の上に広がる場所は、間違い無く神聖な場所であったことを感じる。

アクロポリス アクロポリスを降りて、アゴラへ向かう。アゴラは、古代アゴラとローマアゴラと、隣り合わせて2ケ所ある。アクロポリスではあまり感じなかったが、大勢の人が見学に来ている。その分、廃墟の感じは薄い。ぶらぶら廻りながら古代アゴラの博物館を目指す。折れて並ぶ柱列の中に、ローマのアゴラの門などが復元されている。いかにもローマ期らしい軽やかな造りだ。
 古代アゴラの博物館はアタロスの柱廊博物館と呼ばれてる。完全に復元された古代ギリシャの建築物だ。ドーリア式とイオニア式の柱の組み合わせで、2階建ての細長い巨大な建築だ。真新しさは拭えない。それに神殿建築のように彫刻による装飾も無い。巨大な分、何となく殺風景だ。
 収蔵品は、ざっと見ておしまいにした。今日1日、たくさんのものを見過ぎた。すごく疲れているのが分かる。普段、、日本にいる時でも展覧会は2時間以上会場に居ないようにしている。しかも、1日1ケ所と決めている。それを超えると展示物が散漫に見え、何を見ても、感心しなくなる。自分の能力の低さは致し方ない。
 この博物館で面白かったのは、ヘレニズム期のテラコッタだ。30cm位の大きさで可愛らしいものが多い。何の目的で製造されたのかは知らないが、手許にあると楽しいだろう。
 また、古いコインや選挙に使った道具など、当時の民衆の生活を垣間見ることができるような展示品も多い。選挙が行われていたと歴史では習っていたが、具体的な、投票石や壷が、目の前にあると興味深く見ることができる。
 古代アゴラで、どうしても見たかった神殿がある。フェパイトス神殿だ。アテネ市民は、テセイオン神殿と呼ぶらしいが、発掘調査によってフェパイトスが、祀られていたことがわかったらしい。真偽は、確認していない。この神殿の創建は、パルテノン神殿とほぼ同じ頃で、現在も、その形をとどめていると言うことだ。確かに大きく修復した箇所は見当たらない。そんなに大きな神殿では無いが、ドーリア式の柱に支えらえた重厚な造りだ。が、何となくバランスが悪いような気がする。線があまり美しく感じない。きっと、疲労の限界に来たのかも知れない。自分が情けなく残念だ。正面に立って天井を見上げる。天井の模様に吸い込まれそうな気がした。お賽銭をあげる習慣は無いだろうから、静かに手を合せた。フェパイトスは金工の神だ。

 不本意だったが、食事はハンバーガーショップに行った。本来、よその土地へ来たら、その土地のものを食べるよう心掛けてきたつもりだ。ギリシャ料理は、だいぶ慣れてきたとは言え、全部大丈夫というわけでは無い。レストランによって全然違う。ピッツァやパスタまでは許しても、ハンバーガーに手を出すのはいけないのでは、と考えてはみたが、つまらない意地を張るのはやめた。ハンバーガーショップの匂いが、懐かしく思えた。
 近くに露天の市場が出ている。蚤の市といった感じだ。日用品から、こんなものどうするのだろうと思うようなものまで売っている。世田谷のボロ市といった感じだ。日曜日のせいか、一般の商店はほとんどが閉まっている。オリンピアで帽子を置き忘れたので探しているのだが、なかなか気に入ったのが見つからない。帽子はけっこう売ってはいるのだが、デザインがちょっと手が出ない。明日からはエーゲ海に出るのだ。帽子は必需品である。しかたないが、無いよりはましと適当なものを買う。
 革製品が驚くほど安い。バックなど手ごろな値段で、しかも造りは丈夫そうだ。でも、この厚さで何となく手がのびない。お土産物屋にはどこも同じようなものが並ぶ。なにか、個性的なお土産は売っていないのだろうか。
 タクシーでダフニ修道院へ行こうとしたが断られる。2台目も同じく断られた。なにが悪かったのかは分からないが、自分自身も疲れぎみなので、たいして考えることもせず素直にあきらめる。午前中だったらどんなことをしても行っただろう。
 行きたい博物館は色々あったが、すべてやめて、ザビオン展示会場を抜け、国立庭園に向かいのんびりする。ひと息して国会議事堂へ向かい、無名戦士の墓の前で、衛兵の交代式の時間を待つ。スカートにタイツ、ポンポンの着いた靴、伝統的な軍服だろうか、儀式用のものだろうか。かなり変わっている。もちろん、交代式が始まるまでは、衛兵はピクリとも動かない。交代式を見学したあとホテルへ戻る。ボロボロに疲れた。
 市内で感じたことだが、若い女性の言葉が美しい。歌っているように話す。総体的に小柄で、腰が細いが、年輩の女性で痩せているひとはまず見ない。若い娘達はみんなあのように変身するのだろうか。男性も女性も地中海的な顔だちで、ギリシャ彫刻の顔だちとは少し違うような気がする。たまに、ギリシャ彫刻的な顔だちを見かけるが、不思議とアジア的な匂いがする。体格は、大小細太さまざまだ。ツーリストはアメリカ人、イタリア人がが、多いいようだ。次にフランス人、ドイツ人は、少ないような気がする。極東アジアの人も目立つが、日本人では無いような気がする、中国人では無いだろうか。不思議だが、ここまで来ると話すまでは日本人も中国人も区別が着かない。

 20時過ぎ、H氏と会う。バックパックでも平気で、安い所ホテルと頼んであったのだが、けっこう良さそうなホテルばかりだ(値段も)。それに、アメリカ系のホテルは絶対に嫌だ、と、念を押したつもりだったが、大きな都市では、こっちがいいと押し切られてしまう。たいがいのアメリカ系ホテルは、はずれも無いが当りも無い(超高級は別として)。多少の不満は残ったが、今回は専門科の意見を尊重しようとあきらめた。
 そのあと、昨日のレストランで一緒に食事を取る。相手はおじさんであるが、2人での食事は楽しい。H氏も家族の事、仕事の事、娘が美大へ入学したい等、自分の身の上をよく話した。僕も明日から日本語の会話が無くなると思うと、つまらないことをだらだらしゃべっていた。23時頃までレストランにいた。会計が昨日より安いのはどうしてだろう。ホテルへ戻る。明日からはエーゲ海だ。




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