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歩きながらアクロポリスへ向かう。市内のどこからでも、アクロポリスの丘は見える。神聖なる岩、と呼ばれる由縁が良く理解できる。ギリシャの聖域の場所は、不思議な力を感じる自然の中に、存在している気がする。アニミズム的な考えが有ったのかも知れない。アクロポリスに近付くにつれ、巨大な岩は、巨大な城壁であることを知る。アクロポリスに入場するには、急な階段を登り切らなければならない。右側に、アテナイ・ニケ神殿が見える。かつてここには翼のないニケの像があった。勝利の神ニケがアテネより飛んで行ってしまわないようにと翼を切り落として奉納したそうだ。紀元前424年頃の完成、その後の歴史を見ると、当然、バチが当ったように思う。
階段を登り切ると、右手奥に、パルテノン神殿がそびえている。よく計算された曲線の構造と言われるが、近くに寄るとたしかにものすごく巨大だ。太いドーリア式の柱が印象的だ。神殿内部は2部屋に別れ、乙女の部屋(Parthenos)にフェイディアスによる12mのアテナ神の像が安置されていたと言う。この像も、オリンピアのゼウス像同様、象牙と金によって作られていたらしい。
神殿に、白い大理石がこれだけ使われいると、創建当初は、かなり荘厳で、威圧感のある建物であったであろう。現在、神殿はある程度復元されているので、当時の姿は想像しやすい。
フェイディアスの指揮のもと15年の歳月をかけ紀元前438年に完成。正面はどうも奥の方らしい。
現在、工事用の足場が架かっていて着々と復元がすすめられている(H氏によるともう何年も工事中らしい)。しかし、この巨大な石を人力で加工し、積み上げて行った創建当時に15年かかった作業が、復元に何年かかるのだろう。僕は今のままの姿で十分だとは思う。
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神殿の裏側に、アクロポリス博物館がある。かつて、アクロポリスのほぼ中央にアテナ古神殿があった。そこからの発掘品と、パルテノン神殿からのものが展示されている。
アルカイック期のものが素晴らしい。なんと玉眼ものがある。モスコフォロス(Moschophoros)といわれる、子牛を背負った像だ。アルカイック期独特の硬さが感じない。無いと言うより、様式的だが全体に柔らかさみたいなものを感じる。様式的な硬さを、子牛がうまくバランスを崩しているのだろうか。素晴らしい作品だ。目は、当時たいへん貴重な、ガラスで出来ている。
コレー(Kore 若い女性像)が全体的に素晴らしい。背中に、赤い彩色跡が残ったのもあり、保存も良い。流れるような、洋服の襞が美しい。アルカイック期の作品は、画一化された様式のものがほとんどだと思っていたが、かなりのバリエーションがあるのにおどろく。
アテナ古神殿の破風彫刻の一部がある。かなり失われていて残念だが堂々とした美しさを感じる。もっとも現在の状態で、すべて把握することは不可能なので、想像の域を出ないのが残念だ。
パルテノン神殿関係のものは、エルギンマーブルとして、イギリスに略奪されたことは知っていた。わずかだが、神々を描いたフリーズなどが残っている。合せて、大英博物館にある、パルテノン神殿破風彫刻の模作が、展示されていた。模作の展示を見て、なにか無性に悲しくなってくる。私見では有るが、イギリスはエルギンマーブルを、すべてギリシャに返すべきだ。長い歴史の中、色々な国で、色々な形で、文化財は流失して行った。正規に購入されたものもあれば、騙したように購入したものもあっただろう。それは、多少はしかたないとしても、エルギンマーブルは、戦争のドサクサで略奪して行ったものだ。しかも世界的に最高クラスの文化遺産が、近代に略奪されたのだ。おそらくこの論議は、ギリシャとイギリス間で、色々交渉されていると思う。僕は、所有権も、展示もギリシャ国内であることが一番自然だと思う。いや、ギリシャの所有権で、アクロポリス意外の土地で、展示されてはいけない思う。
フリーズ類(メトープも含む)は破損が激しい。止むえないことだろうが残念だ。部分的に残る断片で全体を把握するのは難しいが、各パーツだけでも、完成像を想像しながら見るのは楽しい。アテナイ・ニケ神殿のフリーズは柔らかくひねられた体にまとわり着く衣裳が美しい。
その他、エレクティオンの柱に使われた女性像や、悲嘆するアテナ神などのレリーフ類が美しい。全体的にここの博物館は、アルカイック期のものに素晴らしい作品が多い。
博物館を出て、アクロポリスを歩く。もとはかなりの数の建物があったと聞くが、その面影はまったく無い。広大に広がる岩場に遺跡の残骸が残り、土台の岩と建築物の区別さえ着かない。しかし、この巨大な岩場の上に広がる場所は、間違い無く神聖な場所であったことを感じる。
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アクロポリスを降りて、アゴラへ向かう。アゴラは、古代アゴラとローマアゴラと、隣り合わせて2ケ所ある。アクロポリスではあまり感じなかったが、大勢の人が見学に来ている。その分、廃墟の感じは薄い。ぶらぶら廻りながら古代アゴラの博物館を目指す。折れて並ぶ柱列の中に、ローマのアゴラの門などが復元されている。いかにもローマ期らしい軽やかな造りだ。
古代アゴラの博物館はアタロスの柱廊博物館と呼ばれてる。完全に復元された古代ギリシャの建築物だ。ドーリア式とイオニア式の柱の組み合わせで、2階建ての細長い巨大な建築だ。真新しさは拭えない。それに神殿建築のように彫刻による装飾も無い。巨大な分、何となく殺風景だ。
収蔵品は、ざっと見ておしまいにした。今日1日、たくさんのものを見過ぎた。すごく疲れているのが分かる。普段、、日本にいる時でも展覧会は2時間以上会場に居ないようにしている。しかも、1日1ケ所と決めている。それを超えると展示物が散漫に見え、何を見ても、感心しなくなる。自分の能力の低さは致し方ない。
この博物館で面白かったのは、ヘレニズム期のテラコッタだ。30cm位の大きさで可愛らしいものが多い。何の目的で製造されたのかは知らないが、手許にあると楽しいだろう。
また、古いコインや選挙に使った道具など、当時の民衆の生活を垣間見ることができるような展示品も多い。選挙が行われていたと歴史では習っていたが、具体的な、投票石や壷が、目の前にあると興味深く見ることができる。
古代アゴラで、どうしても見たかった神殿がある。フェパイトス神殿だ。アテネ市民は、テセイオン神殿と呼ぶらしいが、発掘調査によってフェパイトスが、祀られていたことがわかったらしい。真偽は、確認していない。この神殿の創建は、パルテノン神殿とほぼ同じ頃で、現在も、その形をとどめていると言うことだ。確かに大きく修復した箇所は見当たらない。そんなに大きな神殿では無いが、ドーリア式の柱に支えらえた重厚な造りだ。が、何となくバランスが悪いような気がする。線があまり美しく感じない。きっと、疲労の限界に来たのかも知れない。自分が情けなく残念だ。正面に立って天井を見上げる。天井の模様に吸い込まれそうな気がした。お賽銭をあげる習慣は無いだろうから、静かに手を合せた。フェパイトスは金工の神だ。
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不本意だったが、食事はハンバーガーショップに行った。本来、よその土地へ来たら、その土地のものを食べるよう心掛けてきたつもりだ。ギリシャ料理は、だいぶ慣れてきたとは言え、全部大丈夫というわけでは無い。レストランによって全然違う。ピッツァやパスタまでは許しても、ハンバーガーに手を出すのはいけないのでは、と考えてはみたが、つまらない意地を張るのはやめた。ハンバーガーショップの匂いが、懐かしく思えた。
近くに露天の市場が出ている。蚤の市といった感じだ。日用品から、こんなものどうするのだろうと思うようなものまで売っている。世田谷のボロ市といった感じだ。日曜日のせいか、一般の商店はほとんどが閉まっている。オリンピアで帽子を置き忘れたので探しているのだが、なかなか気に入ったのが見つからない。帽子はけっこう売ってはいるのだが、デザインがちょっと手が出ない。明日からはエーゲ海に出るのだ。帽子は必需品である。しかたないが、無いよりはましと適当なものを買う。
革製品が驚くほど安い。バックなど手ごろな値段で、しかも造りは丈夫そうだ。でも、この厚さで何となく手がのびない。お土産物屋にはどこも同じようなものが並ぶ。なにか、個性的なお土産は売っていないのだろうか。
タクシーでダフニ修道院へ行こうとしたが断られる。2台目も同じく断られた。なにが悪かったのかは分からないが、自分自身も疲れぎみなので、たいして考えることもせず素直にあきらめる。午前中だったらどんなことをしても行っただろう。
行きたい博物館は色々あったが、すべてやめて、ザビオン展示会場を抜け、国立庭園に向かいのんびりする。ひと息して国会議事堂へ向かい、無名戦士の墓の前で、衛兵の交代式の時間を待つ。スカートにタイツ、ポンポンの着いた靴、伝統的な軍服だろうか、儀式用のものだろうか。かなり変わっている。もちろん、交代式が始まるまでは、衛兵はピクリとも動かない。交代式を見学したあとホテルへ戻る。ボロボロに疲れた。
市内で感じたことだが、若い女性の言葉が美しい。歌っているように話す。総体的に小柄で、腰が細いが、年輩の女性で痩せているひとはまず見ない。若い娘達はみんなあのように変身するのだろうか。男性も女性も地中海的な顔だちで、ギリシャ彫刻の顔だちとは少し違うような気がする。たまに、ギリシャ彫刻的な顔だちを見かけるが、不思議とアジア的な匂いがする。体格は、大小細太さまざまだ。ツーリストはアメリカ人、イタリア人がが、多いいようだ。次にフランス人、ドイツ人は、少ないような気がする。極東アジアの人も目立つが、日本人では無いような気がする、中国人では無いだろうか。不思議だが、ここまで来ると話すまでは日本人も中国人も区別が着かない。
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20時過ぎ、H氏と会う。バックパックでも平気で、安い所ホテルと頼んであったのだが、けっこう良さそうなホテルばかりだ(値段も)。それに、アメリカ系のホテルは絶対に嫌だ、と、念を押したつもりだったが、大きな都市では、こっちがいいと押し切られてしまう。たいがいのアメリカ系ホテルは、はずれも無いが当りも無い(超高級は別として)。多少の不満は残ったが、今回は専門科の意見を尊重しようとあきらめた。
そのあと、昨日のレストランで一緒に食事を取る。相手はおじさんであるが、2人での食事は楽しい。H氏も家族の事、仕事の事、娘が美大へ入学したい等、自分の身の上をよく話した。僕も明日から日本語の会話が無くなると思うと、つまらないことをだらだらしゃべっていた。23時頃までレストランにいた。会計が昨日より安いのはどうしてだろう。ホテルへ戻る。明日からはエーゲ海だ。
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